療法士の当事者研究とは

(1)「当事者研究」の始まり

近年、日本では「当事者研究」が対人支援の領域でも話題になっている。1984年に北海道の浦河という過疎の町で、「浦河べてるの家(以下、べてるの家)」という精神障害を持つ人たちがともに生活をし、働く機会をも作りだしてきた共同体が始められた。

べてるの家は、「弱さを絆に」「三度の飯よりミーティング」「昆布も売ります、病気も売ります」「安心してサボれる会社づくり」などをキャッチフレーズに、年商1億円、年間見学者2000人と、過疎の町の一大地産産業となっている(浦河べてるの家、2005)。

そして、「当事者研究」は、2001年に始まった。そもそもは、時々大暴れしてしまう河崎君がべてるの家にやってきたが、支援者皆が手の施しようのなさを感じ、「研究でもしようか…」と始まっている(石原編、2013)。そして、河崎君自身が、べてるの家の皆と共に、そのメカニズムを解き明かしていったのである(浦河べてるの家、2005)。

その意味について、べてるの家を設立した一人である向谷地生良は、次のように表現する。

「彼らは絶対愕然としているし、絶対絶望しているし、絶対傷ついている。「唖然としている彼」っていうのが見えるんですよ。だけど現実の大きさの前で、「俺はがっかりしている」って言えないわけです。その重石をちょっと外してみて「どうだい?」って聞くと初めて、「俺はいちばんがっかりしている。俺はやりたくないことを、なんかわからないけどやらされている」って答えてくれる。「この現実は、私が最も望まない現実である」ってことを初めて言えるわけです。そこで「そうだよね、これはあなたが自分で決定して望んで実行していることではないよね。不思議だね、なんでこんなことが起きるんだろう」って研究が始まる。そのことについていちばん絶望している君と、我々は連帯することを選択するということなんですよ」(石原編、2013)。

(2)「当事者研究」の特徴

当事者研究は、大きな広がりを見せ、身体障害、発達障害、依存症、認知症など様々な障害を持つ人が行い、また日本各地で展開している(熊谷編、2017)。当事者研究の方法は、仲間とともに、自分自身の悩みや苦しみに向き合い、そのメカニズムに自ら言葉を与え、解明するといった基本的なルール以外、テーマ設定や研究方法に作法があるわけではない。

とはいえ、自身が発達障害当事者であり、当事者研究のやり方研究をしてきた綾屋(2017)は、当事者研究に次のような共通点があるとしている。

①自分を開いて仲間と共有する−自分自身で、共に。
②自分の問題を自分の外に出す−外在化。これは、浦河べてるの家では、幻聴に幻聴「さん」と敬称をつけて親しみを込めて呼んでいるが、格好の例であろう。
③興味・関心によるワクワク感。
④仲間の知恵の伝承。これは、先行く仲間の「先行研究」を数多く提示する、ということである。
⑤自分助けとして症状や問題を扱う。
⑥発見を祝う。
⑦問題意識をゆるめる。これは、自己防衛的にならず、安心して語りあえる雰囲気を維持しようとすることである。
⑧先行して警戒を解く。これは、前向きに無防備になること、である。

(3)対人援助領域への影響

熊谷晋一郎氏は、脳性麻痺による重度障害を持ちつつ医者でもあり、当事者研究を推進してきた一人であるが、彼は、アルコール依存症者の当事者研究の紹介を行うなかで、「自立」は依存を行えず生活できる状態を示しているが、実は、多様な依存先を持っていることが自立であるとしている(熊谷、2014)。また自閉症当事者の当事者研究の結果から、物品使用において、あまりに意識的に行う必要のある事態は、過剰な「自己決定」を要求され、「自己決定」がかえって自律感を損ねてしまう事態も紹介している。当事者研究の結果は、作業療法学のみならず、対人援助学が重要視する「自立」や「自己決定」の概念に再考を迫るものとなっている。

野口(2016)は、当事者研究を医療コミュニケーションの視座から捉え、「当事者は既存の専門用語や理論だけでは語り尽くせないさまざまな経験や思いを抱えている。そして、その語り尽くせなさがその人を苦しめている。だとすれば、その語り尽くせなさに言葉を与えていくこと、自らの経験を表す言葉を見つけていくことが重要となる」「患者は「研究の対象」とされてきた。それに対して当事者研究は、当事者が「研究」という魅力的な行為を行えるようにする実践と言いかえることもできる。ただし、ここで研究者が行う「研究」を批判したり対抗することが目的なのではない点に注意が必要である。研究者が研究を行う権利をもつのと同様に当事者も研究を行う権利をもつ。ここでも、医療者−患者関係の「平等化」と「民主化」が独自の形で展開している」と当事者研究を評価している。

(4)「療法士の当事者研究」

当事者研究は、障害や病気をもった当事者が、障害や病気とともに生きていく当事者のために、当事者が作りだした治療である。

当事者が自分の身体で起こる病気や症状について当事者自らが原因や解決方法を探索し、「研究」として外在化することで当事者なりの解釈や病気との向き合い方に変化を及ぼすことがある。

一般化することを目的とした従来の研究とは異なり、客観的に観察される事象を探求するのではなく、いち個人に広がる主観的世界観を言葉にすることで、その人の世界に内在する答えがそこに存在する。

そこには当事者の考えが、ただそこに“在る”ということで、さまざまな矛盾も内包している。その矛盾すらもただただ許容し、否定したり手を加えることもしない。

しかし、こうした主観的世界観は、何も障害を持った当事者だけに在るものではない。

当事者を支援する私たち、一人一人の“支援者”も、”当事者”の側面を持つ。

そして私たちは、『支援者の当事者研究』と題して、当事者を支援する療法士の主観的世界観に焦点を当てていくこととした。

それが、“療法士の当事者研究”である。

繰り返しになるが、当事者研究はもともと当事者のもので、治療の一環であった。

私たち療法士が当事者研究をしてしまうと、本来の当事者研究そのものに害を与えたり、負の影響を与えてしまう可能性が懸念される。そこには合理性を求めたり、矛盾を否定したり、論理性を確かめたりと、自然科学を基盤とした慣習による呪縛かもしれない。

療法士の当事者研究は、あくまでも療法士が、当事者を支援する療法士のために、療法士が作りだした営みである。

療法士は当事者を支援する場面の中で、その刹那の瞬間に数え切れないほど多くのことを感じ、考えている。しかし、学術的に示されているのはごく一部であり、言語化できていない感情や経験、そして思考が連続的に生まれては消えている。

しかし、療法士としての学びは、数値化された、学術的に示された何かがあたかも正解のように示されている。当事者を支援するとはどういうことか。その時に私たち療法士は何を考え、何を言葉にし、どう行動すべきなのか。

療法士として、自分の身体で起こる感情や経験、そして思考について療法士自らが原因や解決方法を探索し、「研究」として外在化することで療法士なりの解釈や当事者との向き合い方に変化を及ぼすことがあるのではないだろうか。

私たち療法士は、こうした主観的世界観を言葉にし、その多様な世界をつくる旅に出ることにした。

文献

  • 向谷地生良(2009)技法以前−べてるの家のつくりかた.医学書院
  • 浦河べてるの家(2005)『べてるの家の「当事者研究」』医学書院
  • 石原孝二編 (2014) 『当事者研究の研究』医学書院
  • 熊谷晋一郎編(2017)『みんなの当事者研究』金剛出版
  • 綾屋紗月(2017)「当事者研究をはじめよう!当事者研究のやり方研究」pp74‐99
  • 熊谷晋一郎編(2017)『みんなの当事者研究』金剛出版
  • 野口裕二(2016)「医療コミュニケーションの変容-平等化と民主化をめぐって-」『保健医療社会学論集』27‐1:3‐11

執筆

(1)-(3):田島明子執筆

(4):須藤誠執筆